日幣千元紙鈔背後的故事
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來到日本,最常拿到的錢應該是他們的千元鈔票,而這張千元鈔票上面印著的人物,就是廣為人知的野口英世,他因為畢生奉獻於醫學而為人所知,也曾經被提名諾貝爾醫學獎。可是,在勵志故事的背後,有些不被大多數人所知道的故事。。。
野口英世出生於福島,小時候左手受到嚴重的燒傷,導致左手掌黏在一起無法正常使用,家境清寒的他,沒有錢去做治療的手術。求學期間的野口英世成績優秀,在他的老師小林榮的幫助之下,野口英世得以接受手術治療,讓他的左手可以正常使用。當時為他動史手術醫生渡部鼎,也成為了他立志成為醫生的目標。
野口英世後來也成功成為醫生,為了研究黃熱病前往非洲,最終於51歲時死於正在研究中的黃熱病。
這樣奮發向上,最後死於自己研究的熱血故事,悲劇英雄,很適合用來教育後代,野口英世也成了日本小朋友小時候會聽到的勵志故事。
以下摘錄自維基百科:
然而,大部分人不知道的是,其實野口英世的研究成果大部分在後世來看都是錯誤的。
例如:他認為顆粒桿菌(事實上是砂眼衣原體)導致沙眼、特定小兒麻痺病原體是錯誤的、特定狂犬病病毒也是錯誤的、培養出來的梅毒螺旋菌不具應該有的傳染性,且無法被他人以相同方式培養出來、認為細菌是黃熱病的病原,而同為洛克菲勒研究所研究員認為野口對黃熱病的病理學一無所知,並批評他不願對虛假聲稱進行撤銷,是個不誠實的研究者。後來證實黃熱病是由病毒造成的。[1][2] [3][4]甚至還做過未經病人同意的人體實驗。[5]
即便如此,他奮鬥的過程,捨身的研究的精神還是直得令人學習,後續也有以他名字設立的公司:野口醫學研究所,生產許多保健食品,帶給人們健康的生活。其營益的一部分,也會支助日本赴美求學的醫學生,希望可以培育更多和野口英世一樣對醫學有熱情的人。
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- Beret E. Strong, G. Richard O'Connor. Seeking the Light: The Lives of Phillips and Ruth Lee Thygeson. p. 57
- ^ de Rotth A. The Problem of the Etiology of Trachoma Rickettsia. Arch Ophthalmol. 1939, 22 (4): 533–539. doi:10.1001/archopht.1939.00860100017001.
- ^ Wilson G.S. Faults and Fallacies in Microbiology: The Fourth Marjory Stephenson Memorial Lecture. Microbiology. 1959, 21 (1): 1–15. doi:10.1099/00221287-21-1-1.
- ^ 同時期に同じ研究室で仕事をしていたハンス・ジンサー(Hans Zinsser)は、英世の方法により繰り返し純粋培養された野口株が病原性を失い、非病原性の梅毒スピロヘータの混入により変成した可能性があると報告した。((a) Zinsser, H.; Hopkins, J. G.; Gilbert R. "NOTES ON THE CULTIVATION OF TREPONEMA PALLIDUM" J. Exp. Med. 1915, 21(3), 213-221. (b) Zinsser, H.; Hopkins, J. G. "ANTIBODY FORMING AGAINST TREPONEMA PALLIDUM-AGGLUTINATION" J. Exp. Med. 1915, 21(6), 576-582.)。一方、英世の報告に遅れて単離されたニコルズI株は、純粋培養には失敗したものの病原性を有し(Nichols, H. J.; Hough, W. H. "Demonstration of Sprochaeta pallida in the cerebrospinal fluid from a patient with nervous relapse following the use of salvarsan" J. Am. Med. Assoc. 1913, 60, 108-110.)、生きた動物の睪丸を介して継代培養されて來た。試験管內でのニコルズI株の培養は、1981年にハワード・フィールドスティールらによって成功が報告され、別のグループによって獨立に追試されたが、死んだウサギの睪丸の組織を培地としており、現在でも完全な純粋培養の報告例はない((a) Fieldsteel, A. H.; Cox, D. L.; Moeckli, R. A. "Cultivation of Virulent Treponema pallidum in Tissue Culture" Infect. Immun. 1981, 32(2), 908-915.(b) Norris, S. J. "In Vitro Cultivation of Treponema pallidum: Independent Confirmation" Infect. Immun. 1982, 36(1), 437-439. )。今日野口株として保存されている標本の遺伝子の型は、病原性のTreponema pallidumではなく、非病原性のTreponema refrigensという別種のものであり、両者ともに1905年にドイツのフリッツ・シャウディン(Fritz Schaudinn)とエーリヒ・ホフマン(Erich Hoffmann)らのグループによって梅毒患者から単離と新種記載を報告された梅毒スピロヘータである。非病原性の梅毒スピロヘータであるTreponema refrigensと、英世本人が1912年に新種記載と純粋培養を報告した別の非病原性の梅毒スピロヘータであるTreponema phagedenis (Noguchi, T. "PURE CULTIVATION OF SPIROCHÆTA PHAGEDENIS (NEW SPECIES), A SPIRAL ORGANISM FOUND IN PHAGEDENIC LESIONS ON HUMAN EXTERNAL GENITALIA" J. Exp. Med. 1912, 16(3), 216-268.)とは、英世の純粋培養の報告と前後して他に5例の純粋培養が報告されており、英世が最初ではない。また一般に非病原性梅毒スピロヘータを含むトレポネマ屬は嫌気性細菌であり、英世も病原性梅毒スピロヘータの純粋培養には酸素の完全な除去が必須であると強調し、獨自の酸素除去の実験項を含めて論文に報告したが、後に病原性梅毒スピロヘータであるTreponema pallidumがトレポネマ屬としては例外的に酸素を必要とする微好気性細菌であることが判明し、フィールドスティールらのニコルズI株の試験管培養も1.5%の酸素濃度下で成功しており、病原性梅毒スピロヘータの培養には酸素濃度のコントロールが重要であった。英世が報告した方法では病原性梅毒スピロヘータの増殖が困難であることから、現在では英世は病原性梅毒スピロヘータの純粋培養には成功していなかったと考えられている。
- ^ a b c d Lederer, Susan E. Subjected to Science: Human Experimentation in America before the Second World War, Johns Hopkins University Press, 1995/1997 paperback
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